モカ

 意識を無意識に変えたい。無意識に触角を、アンテナを張り巡らせるようになりたい。意識的じゃないと感じられない。自分が景色の外側から見ないと。わたしが風景の一部になってしまっているから、道行く人も雑踏も喧騒も、切り取ることができない。


 木曜日のお昼休みに銀行に行って、その帰りに交差点で自分を外側に置いてみたら世界がまったく違って驚いた。以前は割とふつうにやっていたことなのに。
 自分に薄い透明の膜をはって、外の世界と切り離す。
 “ここにいるんじゃなく、ここから見ている。”
 街路樹のそよぐ音、信号が変わって止まる車も歩き出す人々も、秋の風のにおいも、グレーの制服がシャットアウトする。肌で感じる。五感は機能するとても薄い膜。

 写真も言葉も巧くないわたしは、なにも切り取ることができない。すべてを見たまま残したいのに、写真にすればそれは紙の上の小さな景色にしかならないし、そのときの感覚は情けなくも抜け落ちる。言葉にすれば温度がなくなる。時差もつじつまもあわないし、それが情緒にもならない。(ほら、このように意味不明!)
 残念無念。溜め息涙。


 記憶は上書きされて、こんなのすぐ忘れちゃって、忘れかけたときの手掛かりが、もうすこし正確だといいのに。実体の1割も汲めない。